
「短歌を推敲するように、スタッフ全員で丁寧な家づくりをしています」と話す伊佐裕さん=東京都世田谷区の伊佐ホームズ本社
東京・世田谷の静かな住宅街の一角。柔らかな冬の陽ざしの中、色づいた木々の葉に囲まれ、どっしりとした平屋建ての大きな一軒家があった。首都圏と福岡でこだわりの注文住宅を手掛ける「伊佐ホームズ」の本社兼モデル住宅である。
「日本の家は、こんな風に雑木林が似合う建物がいいよね。うちはね、普段着の建築をやっていきたいんだ」。愛おしげに建物を眺めながら、社長の伊佐裕さん(58)=福岡市早良区出身=はにこやかに話した。古くから日本人がなじんできた「洗練された美」を身近な生活に取り入れたいと伊佐さんは考えている。
家づくりの職人といえば、建築士や大工が思い浮かぶ。その意味では伊佐さんは職人ではないが、自らが信じる「美」を求め、家づくりのプロデューサーとして、常に現場に足を運び、職人を束ねている。
「僕自身は線は書かんけど、言葉で書いて、指導しよると」。言葉で書く、とは例えばこんな風に。
「雲の如(ごと)くに天井をはり、大地の如くに床をはらないかん」「客の要望を何でも受け入れて、ただ団子をくしに刺すだけではつまらん。家の起承転結を考えることだ」-。
小学3年生から油絵に親しみ、絵描きを目指した伊佐さんは構図を大切にする。土地というキャンバスに、どんな形でどんなバランスで描くのか。その構図を、職人と一緒に考える。ふすまや障子を開け放つことで「『個』が『場』に変わる、日本家屋の特徴」を取り入れたり、いすではなく床に座る日本人の重心に天井の高さを合わせたり。そんな細やかな家づくりが支持を集めている。
伊佐さんが家づくりを志し、会社を起こしたのは36歳のときだった。
大学卒業後は、丸紅でマンションや一戸建てなど住宅開発を多く手掛けた。当時の業界では、和洋のデザインが入り交じり、素材の木も見えない家が増え、次第に違和感を覚えた。「売るためではなく、自分の美を貫いて、本来の日本の家をつくりたい」。14年勤めた会社をやめ、独立した。

伊佐さんが生まれ育った福岡市早良区の町家(1882年ごろ完成)
家づくりの原点は、自らが生まれ育った町家にあった。いまも福岡市早良区に残る町家は明治初期に建った。無垢材を用い、確かな骨格と豊かな質感をたたえている。福岡市都市景観賞にも選ばれた。柱に触れると、祖母にしかられた記憶がよみがえるという。
「家は、精神の積み重ねであり、代々の記憶が柱に積み重なっていく。だからお客さまと一緒に、魂の入った生きた家を、一棟でも多く残していきたいんです」。21年間で手掛けたのは約550件。一棟一棟の積み重ねという「色」で、日本の住宅風景という大きなキャンバスを塗り重ね、変えていきたいと思っている。
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▼いさ・ひろし 1950年福岡市生まれ。福岡県立修猷館高では美術部長を務めた。74年、慶応大法学部卒業後に丸紅入社。88年に独立。大分・湯布院で、図書館やレストランを併設する別荘地の企画を進めている。
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